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小笠原 美都子(おがさわら みつこ、1920年(大正9年)3月25日 - )は、高知県長岡郡大豊町出身の歌手。 == 経歴 == 昭和10年(1935年)、15歳の時に上京し歌を学んだ後、昭和15年9月、20歳の時に「花嫁蝋人形」という歌でテイチクレコードよりデビューした。その後「十三夜」「琵琶湖哀歌」など、200曲以上を吹き込んだ。テイチク時代に、東海林太郎と吹き込んだ「琵琶湖哀歌」は、昭和16年(1941年)4月6日に琵琶湖で起こった第四高等学校漕艇部(現金沢大学)の部員11人の悲惨な遭難事故を悼んで作られた歌である。その年6月にレコードは発売され大ヒットし現在でも歌い継がれている。あの「琵琶湖周航の歌」と共に名作である。また、同年10月に発表した「十三夜」の大ヒットは、戦後に歌った榎本美佐江のカヴァーでも知られ、他にも東海林太郎とのデュエット「九段のさくら」などヒット曲多数。 80年代には日朝音楽芸術交流会会長に就任し朝鮮の国際音楽祭などで活躍するなど、朝鮮と中国の友好活動でも知られている。朝鮮国内ではその功績を讃えられ度々表彰されるなど日本人歌手としては稀有な存在と言える。 近年でも、テレビ東京の「昭和歌謡大全集」に出演するなど健康的な姿を見せている。 2013年2月 92歳ながら、堺市のサンスクエア堺の大ホールで、朝鮮学校支援のチャリティーコンサート歌はわが華を周囲の支援で開催し、ハングルでの歌も2曲まじえて6曲をみごとに歌い人々に深い感動を与えた。2014年 現在94才でご健勝で、昔と変わらぬ美声で歌っておられます。現在日朝音楽芸術交流会名誉会長。 現在日朝音楽芸術交流会会長は平和のピアニストの池辺幸惠がひきついでいる。池辺は2012年4月に訪朝し<4月の春国際親善芸術祭典>に参加し、自作の"アリラン変奏曲"の演奏により受賞。以来朝鮮の理解と交流・支援に深く携わり、朝鮮共和国への偏見と誤解、在日・朝鮮学校への差別をなくすさまざまな活動や、それらの主旨と反原発と9条を守る歌とピアノとスライドショーの"平和コンサート"を催している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原美都子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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