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小笠原貞謙[おがさわら さだよし] 小笠原 貞謙(おがさわら さだよし、文政10年7月11日(1827年9月1日)- 嘉永4年1月4日(1851年2月4日))は、豊前小倉新田藩(千束藩)の第6代藩主。第5代藩主・小笠原貞哲の次男。母は酒井忠寧の娘。正室は水野忠央の娘。子は娘(花山院家威室)。官位は従五位下、豊後守。幼名は欽之助。 江戸で生まれる。天保4年(1833年)6月13日、父貞哲の嫡子となる。天保14年(1843年)3月15日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月9日、父貞哲の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下備後守に叙任する。天保15年(1844年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。弘化3年2月2日、大坂加番を命じられる。嘉永4年(1851年)正月4日(14日とも)、25歳の若さで死去した。跡を弟の貞嘉(後の小倉藩主・小笠原忠嘉)が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原貞謙」の詳細全文を読む
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