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小笠原 長安(おがさわら ながやす、元和4年(1618年) - 寛文7年閏2月5日(1667年3月29日))は、豊前小倉藩の世嗣。初代藩主・小笠原忠真の長男。母は本多忠政の娘・亀姫。子は娘(松平定長正室)。官位は従五位下、兵部大輔。 播磨明石藩(のち豊前小倉藩)嫡子として生まれ、寛永15年(1638年)叙任する。しかし、家督を継ぐことなく正保3年(1646年)に廃嫡された。代わって、弟の長宣が嫡子となった。 寛文7年(1667年)、50歳で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原長安」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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