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小笠原長巨 : ウィキペディア日本語版
小笠原長巨[おがさわら ながなお]
小笠原 長巨(おがさわら ながなお、天文20年(1551年) - 寛永11年8月29日1634年10月20日))は、信濃国伊那郡国人領主。後に江戸幕府旗本となる。小笠原信貴の次男。母は諏訪満隆の娘。子に長重(小笠原忠真家臣)、長泰(家督相続)、良隆(忠真家臣)、泰政(忠真家臣)。正室は武田信実の娘。通称は孫六、靱負。号は以鉄入道。別名は小笠原長臣(おがさわら ながおん)〔寛政重修諸家譜、笠系大成〕。
天正10年(1582年)2月13日、織田氏による甲州征伐では兄の小笠原信嶺織田信忠に降る際に人質として供出され、本能寺の変直後の同年6月14日には菅沼藤蔵を仲介して、信嶺と共に駿府城徳川家康に拝謁する。豊臣秀吉恩顧の大名である飯田城京極高知の形勢を伺い、徳川方に対して謀反の気配がないことを報告した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは山村良安千村良重に加勢し美濃苗木城岩村城を攻撃した。小笠原信之が本領の伊那郡松尾への帰住を拒むと家康の怒りを買い、松尾仕置として長巨が武蔵本庄から伊那郡伊豆木1000石に移封し伊豆木陣屋を築く。また高遠領保科氏、飯田領小笠原氏等の伊那谷の新領主が定まるまで、伊那郡10万石を一時的に預かった。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣では箱根関を守衛し、元和元年(1615年大坂夏の陣では松平乗寿軍に属し、枚方に帯陣した。
享年84。法名は圭卜。
== 註 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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