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小笠原長恭[おがさわら ながゆき]
小笠原 長恭(おがさわら ながゆき)は、遠江掛川藩の第3代藩主。のち陸奥棚倉藩の初代藩主。忠知系小笠原家7代。 == 生涯 == 元文5年(1740年)、掛川藩第2代藩主・小笠原長庸の長男として生まれる。延享元年(1744年)に父が死去したため、家督を継いで掛川藩の第3代藩主となる。しかし若年の上、藩内において濱嶋庄兵衛と名乗る急ぎ盗めの盗賊による横行を取り締まることができなかったためとして、延享3年(1746年)9月25日、陸奥棚倉藩へ懲罰的な移封を幕府より命じられた。 寛延2年(1749年)2月、隣の天領白川郡において百姓が代官を殺害するという戸塚騒動が起こると、幕命により藩軍を送って鎮圧している。藩財政が苦しかったため、殖産興業政策を推進し、特に製陶を奨励したが、棚倉鹿の子焼は長恭が創始したものとされている。 安永5年(1776年)5月29日に死去。享年37。跡を長男の長堯が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原長恭」の詳細全文を読む
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