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小笠原長逵[おがさわら ながみち]
小笠原 長逵(おがさわら ながみち)は、播磨安志藩の第2代藩主。忠脩系小笠原家7代。 == 生涯 == 正徳3年(1713年)2月15日、小笠原氏本家の豊前小倉藩第3代藩主・小笠原忠基の次男として小倉で生まれる。 享保15年(1730年)6月、子の無い初代安志藩主・小笠原長興の養子となり、12月11日に長興が隠居したため、その跡を継いだ。12月18日には叙任する。長興は妹を養女とし、長逵に正室として娶らせている。 藩政においては、宝暦5年(1755年)に無償もしくは有償で生活に困窮する百姓を助ける「夫食付方仕法」という共済制度を定めている。これは幕府が天明5年(1785年)に定めたものと同様の法律で、長逵は30年前から実施したのである。 明和7年(1770年)8月18日に死去した。享年58。跡を次男・長為が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原長逵」の詳細全文を読む
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