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小西 甚一(こにし じんいち、1915年(大正4年)8月22日 - 2007年(平成19年)5月26日)は、日本の国文学者、比較文学者。1951年(昭和26年)、『文鏡秘府論考』により日本学士院賞を35歳の若さで受賞。1987年(昭和62年)、勲二等瑞宝章。1999年(平成11年)、文化功労者。元筑波大学副学長、筑波大学名誉教授。文学博士(東京文理科大学)。 == 来歴・人物 == 三重県宇治山田市船江町(現・伊勢市船江)に生まれる。生家は魚屋だった。三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年(昭和11年)、東京文理科大学国語国文科を卒業。1940年(昭和15年)、同研究科修了。1954年(昭和29年)、文学博士号を取得(東京文理科大学)。「文鏡秘府論考」〔博士論文データベースによると東京教育大とある〕 東京教育大学文学部教授、筑波大学文芸・言語学系教授、スタンフォード大学客員教授、ハワイ大学高等研究員、アメリカ議会図書館常任学術審議員、プリンストン大学高等研究員等を歴任し、日本文学研究の国際化に貢献した。 専攻は日本中世文学、比較文学で、飯尾宗祇の連歌や世阿弥の能等。また、俳句研究にも造詣があり、松尾芭蕉に関するものも多い。 全5巻の大著『日本文藝史』は第1巻刊行と同時に英訳版がプリンストン大学出版会から出ている(第3巻まで。第4、5巻は未刊行)。1992年(平成4年)、同書により大佛次郎賞を受賞。 その他の著書に『梁塵秘抄考』、『文鏡秘府論考』、『能楽論研究』、『俳句の世界』等がある。 また、スタンフォード大学滞在中に、当時のアメリカ最新の文芸批評の方法論を学び、日本で従来一般的であった、あるイデオロギー(カトリシズムやマルクス主義)と合う程度いかんで作品を評価する截断批評や、たんに主観的な印象批評に替わるものとして、表現そのものに拠り所を求めようとする批評を分析批評と名付けて紹介、日本の国語教育や国文学研究に影響を与えた。 1999年(平成11年)に文化功労者となる。2007年5月26日、肺炎のため東京都西東京市の病院で死去。享年91。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小西甚一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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