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小諸藩[こもろはん] 小諸藩(こもろはん)は、信濃国小諸(現在の長野県小諸市)に存在した藩。藩庁は小諸城に置かれた。 == 前史 == 小諸は諸方に通じた交通の要衝であり、戦国時代には武田信玄と上杉謙信による争奪が繰り返された〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P10〕。小諸は武田家支配下では重要基地として城の防備が山本勘助により強化されたという〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P16〕。また城主も譜代家老の飯富虎昌や春日虎綱(高坂昌信)、内山城代の小山田虎満・小山田昌成親子らが面々が任命された〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P18〕。天正10年(1582年)3月、織田信長の甲州征伐で武田勝頼が自刃した際、信豊は小諸城に逃れたが城代の下曽根浄喜に殺害され、首級は信長に献上された〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P19〕。だが信長は下曽根の不忠を怒って追放する〔。信長は小諸城を関東管領・上野国主に任命した滝川一益に与え、一益は甥の道家正栄に2万石を与えて任せた〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P20〕。 だが6月2日の本能寺の変で信長が横死。旧武田領では武田家旧臣による一揆が起こり、相模の北条氏直は関東の大軍を動かして上野に攻め入った。滝川は迎撃するも神流川の戦いで大敗。上野を放棄して6月21日に小諸に戻り、ここに5日間滞在した後、滝川は道家と共に西の織田領を目指した〔。 道家に代わって小諸に入城したのは武田の旧臣依田信蕃であり〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P21〕、依田は北条氏直の大軍を巧みに後方撹乱して徳川家康に功績を認められた〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P22〕。ただし小諸城は北条家の重臣大道寺政繁の支配下に置かれ〔、依田は小諸城を奪回するために天正11年(1583年)に大道寺に与する大井行吉の岩尾城を攻撃、この合戦で依田は戦死し、大井も柴田康忠の説得を受けて開城したので、大道寺は小諸から撤退した〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P23〕。 代わって小諸は徳川家の支配下となり、家康より松平姓を許された依田信藩の嫡男松平康国が6万石で入った〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P24〕。この6万石と松平姓は当時の徳川家臣の中では異例の厚遇であり、家康は戦死した信蕃とその実弟信幸の功績を認めていたためという〔。この間に小諸城3層の天守閣築造が行なわれ、2年間で完成した〔。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、康国は北条領の上野に侵攻し、大道寺が守る松井田城を真田昌幸や上杉景勝、前田利家らと攻めた〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P25〕。松井田落城後、石倉城を攻めるが開城の際に康国は城将寺尾左馬之介に刺殺された〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P26〕。弟の松平康勝が寺尾を殺し、跡を継いだが〔、戦後に家康が関東に移封されると随従し、上野藤岡に所領を与えられた〔塩川『シリーズ藩物語 小諸藩』、P27〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小諸藩」の詳細全文を読む
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