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小諸藩の家臣団 : ウィキペディア日本語版
小諸藩牧野氏の家臣団[こもろはんまきのしのかしんだん]
小諸藩牧野氏の家臣団(こもろはんまきのしのかしんだん)は、元禄15年(1702年)に、越後国与板の陣屋から、小諸城主に栄転して、明治4年(1872年)廃藩置県まで存続した小諸藩牧野氏の家臣団である。小諸藩主牧野氏は、三河国宝飯郡牛久保城主を発祥とする徳川譜代・越後長岡藩主牧野氏の完全な支藩であるため、その家風は、本藩を見習うことが定められていた。その家風とは、「参州牛久保之壁書」と呼ばれる"常在戦場・鼻を欠いても義理を欠くな"などを家訓として掲げたものである。
以下は門閥諸士の盛衰を中心に解説し、全家臣団の概要を掲載する。〔特に提示しないものは【東京大学史料編纂所蔵・小諸藩関係史料】・【独立行政法人国文学資料館所蔵・小諸藩関係史料】・【国立公文書館所蔵・小諸藩関係史料】・【小諸藩主牧野氏の年譜(阿部芳春著)】を基本出典として記述する。基本出典の詳細は、当ページに明記した。なお、3箇所・1点以外の出典については必要に応じて各項毎に示し、当ページの参考文献欄を参照とする。〕
小諸藩の門閥とは、家老の家柄であったことが確実で、小諸侯の譜代であった牧野氏2(牧野八郎左衛門家・牧野八郎左衛門家の分家である勝兵衛家。牛久保の以来の家)、真木氏(槇氏とも書いた時代がある。牛久保以来の家)、稲垣氏(牛久保以来の家)、加藤氏(牛久保以来の家)、木俣氏(大胡以来の家)及び、その一族を指す。稲垣氏・木俣氏には罪があり、幕末まで家老の家柄を連綿していなかったが、上級家臣としては存続していた。また譜代とは言い難いが、太田氏が家老の家柄に班を進めて門閥に成長していた。
==藩士の格式・序列(家柄の格付け)==
藩士の格式には、連綿する家の格式・序列と、役職上の格式・序列の2つがあった。時代の経過により、連綿する家の格式より、役職による格式のほうが重視されるようになっていった。世襲される家の格式・序列は、原則的には不変であっても、実際には非行・当主幼少・当主長期病身・末期養子・藩主内存(勘気や意向)・出奔・自殺・家内騒動・職務上の大失態・酒の上の大失態・不敬・引き籠り・抜擢・精勤・手柄・縁組などによって変動することがあった。
小諸藩で重臣の家柄〔重臣の家柄とは、加判の家柄という意味である。加判の家柄であっても、その下位に位置する家柄の者は、家督を相続して当主になっても、運や能力によって長い年数にわたって側用人・大目付・奏者・三奉行・物頭・公用人・番頭・江戸留守居役などの役職を勤めないと、加判職に就任できないことも珍しくなかった。また加判の家柄の上位に位置しても、若死(牧野八郎左衛門家)・病身(真木権左衛門家)・懲戒処分(木俣重郎右衛門家)などの理由で加判職に就任できないまま終わった者もいた。〕を連綿するとされた家の序列(家柄の格付け)は、次の通りである。世襲・原則固定であるはずの家柄も意外と変動が大きいことがわかる。

*与板立藩時ごろ(倉地氏の長岡帰参前を基準)。

*首席/倉地氏、次席/牧野氏(八郎左衛門)、三席/加藤氏

*寛政年間中期ごろ(牧野氏(八郎左衛門家)と加藤氏末期養子後、及び牧野勝兵衛長期病身を基準)。

*首席/真木氏、次席/稲垣氏、三席/木俣氏、四席/太田氏、五席/牧野氏(勝兵衛)、六席/牧野氏(八郎左衛門)、七席/本間氏、八席/加藤氏、九席/河合氏、十席/村井氏、十一席/倉地氏、十二席/鳥居氏、十三席/古畑氏

*文化年間初期ごろ(加藤氏祇園祭り不祥事前・稲垣氏お取り潰し後、及び河合氏家老連綿昇格後を基準)。

*首席/牧野氏(勝兵衛)、次席/真木氏、三席/木俣氏、四席/太田氏、五席/河合氏、六席/牧野氏(八郎左衛門)、七席/本間氏、八席/加藤氏、九席/村井氏、十席/倉地氏、十一席/鳥居氏、十二席/古畑氏

*文化年間初期ごろ(加藤氏祇園祭り不祥事失脚後を基準)。

*首席/牧野氏(勝兵衛)、次席/真木氏、三席/木俣氏、四席/太田氏、五席/河合氏、六席/牧野氏(八郎左衛門)、七席/本間氏、八席/村井氏、九席/倉地氏、十席/鳥居氏、十一席/古畑氏、十二席/加藤氏

*天保年間初期ごろ(真木氏長期病身後・河合氏怠慢を繰り返し藩主の勘気を受け失脚及び、加藤氏精勤城代抜擢・就任復活後を基準)。

*首席/牧野氏(勝兵衛)、次席/加藤氏、三席/真木氏、四席/木俣氏、五席/太田氏、六席/牧野氏(八郎左衛門)、七席/本間氏、八席/村井氏、九席/倉地氏、十席/鳥居氏、十一席/古畑氏、十二席/河合氏、十三席/佐々木氏

*嘉永年間末ごろ(本間氏引き籠り・古畑氏破廉恥事件失脚・木俣氏の過失と非行の繰り返し後・牧野氏(八郎左衛門家)精勤後及び、笠間氏抜擢後を基準)。

*首席/牧野氏(勝兵衛<主鈴>)、次席/加藤氏、三席/牧野氏(八郎左衛門)、四席/真木氏、五席/太田氏、六席/村井氏、七席/木俣氏、八席/倉地氏、九席/鳥居氏、十席/本間氏、十一席/河合氏、十二席/笠間氏

*明治3年(河合氏精勤後、廃藩置県近く。加藤氏・太田氏・笠間氏等出獄・赦免後、倉地氏の非行・笠間氏引き籠り後を基準)。

*首席/牧野氏(勝兵衛<隼人進>)、次席/加藤氏、三席/牧野氏(八郎左衛門)、四席/真木氏、五席/太田氏、六席/村井氏、七席/河合氏、八席/本間氏、九席/木俣氏、十席/鳥居氏

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小諸藩牧野氏の家臣団」の詳細全文を読む



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