翻訳と辞書
Words near each other
・ 小谷の蟻の問題
・ 小谷みさこ
・ 小谷ゆみ
・ 小谷キミ
・ 小谷サービスエリア
・ 小谷ヘンリー
・ 小谷一美
・ 小谷三志
・ 小谷中継局
・ 小谷亜希子
小谷仙庵
・ 小谷伸子
・ 小谷信千代
・ 小谷健悟
・ 小谷優介
・ 小谷元彦
・ 小谷充
・ 小谷典由
・ 小谷内秀夫
・ 小谷剛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小谷仙庵 : ウィキペディア日本語版
小谷仙庵[こたに せんあん]

小谷 仙庵(こたに せんあん、弘化5年(1848年) - 没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の丹後宮津藩医、慶應義塾教員、京都府医師会長、副会長等を歴任。別名:小谷忍従七位
== 経歴 ==
丹後国宮津城下に生まれる。藩医として、代々松平伯耆守に仕える。
宮津藩藩校・礼譲館(文武館)に学び、慶応元年(1865年)に藩命により鉄砲洲慶應義塾へ入塾。明治元年(1868年)に戊辰戦争により帰藩し、長崎養生所にて医術を修業する。再度上京して慶應義塾五級に入り、小杉恒太郎と共に明治3年(1870年)汐留出張所の移転先、麻布龍源寺分校の取締役に任ぜられる。慶應義塾では「英文購読」の授業を担当した。同門は小幡甚三郎藤野善蔵蘆野卷蔵村尾真一。次いで上総国松尾藩英学校開設にあたり、千葉県に赴く。
晩年は帰郷し、北丹医師会(現・京都医師会)が発足すると会長に就任。他、臨済宗東涌山宝泉寺の創設発起人となる。死没に際して従七位に叙する。なお、福沢諭吉よりも早くに死去している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小谷仙庵」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.