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小谷 実可子(こたに みかこ、1966年8月30日 - )は、東京都出身の女子シンクロナイスドスイミング選手、スポーツコメンテーター。日本大学文理学部卒業。本名・杉浦 実可子(旧姓・小谷)。スポーツビズ所属。 == 経歴 == * 小学生の頃からシンクロに親しみ、1978年には日本代表として「カナダ年齢別選手権大会」でソロ、デュエットとも3位に入賞した。 * 1982年にアメリカのノースゲート・ハイスクールにシンクロ留学する。アメリカのナショナルチームを指導したゲイル・エメリーに師事する。 * 1985年、パンパシフィック水泳選手権でソロでは2位、デュエットでは優勝する。この年から全日本水泳選手権で4連覇を達成する。 * 1988年ソウルオリンピック開会式で日本選手団の旗手を務める。競技でもソロ、デュエット(田中京とのコンビ)でともに銅メダルを獲得した。日本代表選手団の旗手。都民栄誉賞、ビッグスポーツ賞、総理大臣銀杯受賞。 * 1989年スイス・オープンでソロ優勝。日本大学文理学部を卒業。 * 1990年ローマシンクロ大会、マジョルカ・オープン大会でソロ優勝。 :1991年パース世界選手権はソロで銅メダル、高山亜樹とのデュエットではカナダのペアを破り、銀メダルを獲得。その後、休養宣言し、長野オリンピックの招致活動などをしていた。 *1992年バルセロナオリンピック前に現役復帰。これまでの実績が評価されて、シンクロ日本五輪代表としては日本人として初めて2大会連続で選ばれる。 :バルセロナ五輪では試合直前まで奥野史子らと出場を競っていた。ソロは奥野史子が出場し、デュエットでは一時小谷と高山亜樹が出場予定と発表されたが、結局デュエット本番直前で奥野と高山が出場する事となったため、結局小谷の出番は無いままに終わった(ソロ・デュエット共に銅メダル獲得)。そのデュエット試合時の小谷は観客席から二人を見続けており、試合終了後小谷が涙を流すシーンが繰り返し放映された。 :バルセロナ五輪後、小谷は現役引退を表明した。 :第一線を退いてからはスポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会広報員、長野オリンピック広報員、国際オリンピック委員を歴任する。また日本オリンピアンズ協会の理事を務めている。 * 1997年11月25日には国連総会に民間人として初めて出席。スポーツと平和に関連する議題で講演、長野冬季オリンピック開催期間中の停戦を求める「五輪停戦決議」を提議し、全会一致で採択された。 * 1999年、元陸上短距離選手で明海大学助教授(当時。2015年現在は同大学教授)の杉浦雄策と結婚。2001年2月に長女を出産、2006年8月に二女を出産。 * 2006年10月、政府の教育再生会議委員に就任。 * 2007年、国際水泳殿堂に表彰された〔Mikako Kotani (JPN) 国際水泳殿堂〕。 * 2008年1月、グアム自然大使に任命〔1月8日 グアム大使任命状授与式 グアム文化大使に草刈民代さん グアム自然大使に小谷実可子さん グアム政府観光局〕。 * 2014年9月16日、日本中央競馬会非常勤監事に任命された〔 日本中央競馬会広報室 2014年9月12日付〕〔JRA監事に小谷実可子さん 女性役員初 日刊スポーツ 2014年9月16日閲覧〕。 * 2016年1月25日、リオデジャネイロオリンピック閉会式「フラッグハンドオーバーセレモニー」検討メンバー(アドバイス担当)に就任〔佐々木宏氏、菅野薫氏、リオ五輪閉会式での東京引継ぎ式メンバーに - #ブレーン | AdverTimes、2016年1月27日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小谷実可子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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