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小豆坂の戦い[あずきざかのたたかい]
小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)は、岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市字羽根町字小豆坂、同市美合町字小豆坂)で行われた戦国時代の合戦。三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年(1542年)と17年(1548年)の2度にわたって繰り広げられた。 発端は松平氏家中の家督相続をめぐる対立だが、これに領地拡大を図る織田氏と今川氏が介入し、事実上、松平清康の死後勢力の衰えた松平氏に代わる西三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元との間で生じた抗争である。 == 合戦に至る背景 ==
* 文中の( )の年はユリウス暦、月日は西暦部分を除いて全て和暦、宣明暦の長暦による。 岡崎城主として西三河の平野部を支配していた松平氏は、松平清康の代に三河全域をほぼ平定したが、天文4年(1535年)の森山崩れによって清康が不慮の死を遂げてから一族間の内紛が起こり、動揺していた。やがて清康の嗣子広忠が、東の駿河国・遠江国を支配する今川義元の後援を受けて岡崎城に戻り家督を相続するものの、依然として勢力は不安定だった。 尾張の南部に勢力を広げ、戦国大名化を進めていた織田信秀は天文9年(1540年)に松平氏の弱体化に乗じて西三河の松平氏の重要拠点である安祥城(愛知県安城市)を手中にし、松平氏の本拠である岡崎城の目前である矢作川のすぐ西までその勢力を伸ばしていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小豆坂の戦い」の詳細全文を読む
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