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小野坂清 : ウィキペディア日本語版
小野坂清[おのさか きよし]

小野坂 清(おのさか きよし、1942年7月13日 - 2012年4月17日)は、大阪府出身のプロ野球選手投手)。
==来歴・人物==
大鉄高等学校(現阪南大学高等学校)では、1960年春の甲子園に出場したが、1回戦で東邦に敗退。高校同期に伊藤幸男がいる。卒業後は社会人の不二越鋼材に入社、1963年都市対抗では左腕エースとして富士鉄広畑戦に完投、富山県勢として大会初勝利をあげる。
1964年近鉄バファローズへ入団。1971年まで在籍した。1968年には当時の三原監督の抜擢に応え、主に中継ぎとして37試合に登板。左のサイドスローからのカーブシュートで打者のポイントをはずす投球を武器に活躍した。その後は登板機会が段々と減り、1971年限りで引退。
1972年から打撃投手、スコアラーを務め、その後球団広報・広報課長・ファームディレクターを経て、2004年、広報部次長となる。
2012年4月17日肺腺癌のため、大阪府羽曳野市の病院で死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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