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小野寺稙道 : ウィキペディア日本語版
小野寺稙道[おのでら たねみち]
小野寺 稙道(おのでら たねみち、長享元年(1487年?) - 天文15年5月27日1546年6月25日))は、戦国時代前期の出羽戦国大名小野寺氏の第12代当主。1487年生まれと言われているが、異説も多い。父は小野寺泰道(やすみち)。幼名は竜保丸。別名・小野寺輝道(てるみち)。従五位下、中宮亮。
はじめ上洛して室町幕府の将軍(足利将軍家)に仕え、足利義稙から偏諱を賜って稙道と名乗る。義稙が将軍職を辞した後も続いて足利義晴に仕えたが、父の泰道が死去したために帰国して家督を継いだ。
横手盆地を中心として勢力を保っていたが、天文15年5月27日(1546年6月25日)、金沢八幡の別当である金乗坊と横手城大和田光盛ら家臣団の権力闘争に巻き込まれ、家臣により湯沢城に追い詰められて暗殺された(平城の乱)。
跡を三男(四男とも)の輝道(景道)が継いだ。
== 関連項目 ==

*小野寺氏



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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