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小野 忠重(おの ただしげ、1909年1月19日 - 1990年10月17日)は日本の版画家。版画史や古地図、浮世絵の研究者でもある。1932年から藤牧義夫らとともに「新版画集団」(その後、造形版画協会に名称変更)を結成。 ==経歴== *1909年1月19日、東京都墨田区向島に生まれる〔阿部出版「版画芸術・65号」【 小野忠重 略歴 】 〕 *1924年、蒼原会に加入、白日会第2回展〔に出品。 *1927年、早稲田実業学校在学中から卒業まで本郷絵画研究所に学ぶ〔。 *1929年、日本プロレタリア美術家同盟主催のプロレタリア美術展に出品〔。 *1931年、プロレタリア美術展に連作「三代の死」出品〔連作「三代の死」 独立行政法人国立美術館〕。 *1932年、日本版画協会第2回展に出品。藤牧義夫らと「新版画集団」を創立。 *1933年、「死を回る人々」制作〔Asahi.com 2009年11月11日「版画家・小野忠重 生誕100年で作品展 東京・町田」 〕。 *1936年、日本版画協会主催の「欧米巡回展」の出品作品に選定される。第1回版画協会賞受賞。同年、新版画集団を「造形版画協会」に改組改称〔。 *1940年、紀元2600年奉祝美術展に出品〔。 *1948年、第2回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)出品。 *1956年、初めて個展を開く〔。 *1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展出品〔。 *1960年、「工場」を制作〔。 *1961年、ソ連で初めての現代日本版画展に招待される〔。帰国後、エッセイ「ソ連の美術館」、「ソヴィエットの日本画」を『三彩』に掲載。 *1963年、東京藝術大学版画研究室の講師となる〔。 *1966年1月、「版画・戦後20年の歩み」を『みづゑ』に発表。「日本の木版技術と複製」を『東京藝術大学美術学部紀要』(通号 2)に掲載。 *1967年、「民衆版画考」を『東京藝術大学美術学部紀要』(通号3)に掲載。 *1968年、第6回東京国際版画ビエンナーレ展諮問委員を委嘱〔第6回東京国際版画ビエンナーレ展記録 京都国立近代美術館〕。 *1970年、装幀に関する研究成果として、「本の美術史」の連載を『三彩』で開始。 *1972年、第7回東京国際版画ビエンナーレ展諮問委員を委嘱される〔第7回東京国際版画ビエンナーレ展記録 京都国立近代美術館〕 *1979年、紫綬褒章を受章〔。 *1989年、『小野忠重と「新版画」の作家たち展』(神奈川県立近代美術館)開催。 *1990年10月17日死去。 *1994年10月16日、東京都杉並区に小野忠重版画館開館。 *2009年10月3日~11月23日、生誕100年記念の展覧会「小野忠重展 昭和の自画像」が町田市立国際版画美術館で開催〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野忠重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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