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小野道風[おの の みちかぜ]
小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう〔名前の読みは「みちかぜ」だが、現代では「とうふう」と有職読みすることが多い。〕)は、平安時代の貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の子。藤原純友討伐に功を成した公卿・小野好古は実兄。官位は正四位下・内蔵頭。「三跡」の一人。 == 概要 == 現在の愛知県春日井市出身。平安時代前期、10世紀に活動した能書家であり、それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されている。後に、藤原佐理と藤原行成と合わせ、「三跡」と称されている。 道風は中務省に属する少内記という役職にあり、宮中で用いる屏風に文字を書いたり、公文書の清書をしたりするのがその職務であった。能書としての道風の名声は生存当時から高く、当時の宮廷や貴族の間では「王羲之の再生」ともてはやされた。『源氏物語』では、道風の書を評して「今風で美しく目にまばゆく見える」(意訳)と言っている〔『源氏物語』「絵合」の巻〕。没後、その評価はますます高まり、『書道の神』として祀られるに至っている。 一方で気性が激しく、「空海筆の額を批判した」〔『古今著聞集』によると「美福門は田広し、朱雀門は米雀門、大極殿は火極殿」と非難したという。〕などという不評も同時に伝わっており、晩年はたいへん健康を壊し、随分苦しんだという〔道風は65歳ぐらいの頃から目が悪くなり、67歳ぐらいの頃には言語までが不自由になったという。その頃からの道風の文字はのびのびした線ではなくなり、後世ではこれを「道風のふるい筆」といっている。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野道風」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ono no Michikaze 」があります。
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