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小野真一 : ウィキペディア日本語版
小野眞一[おの しんいち]
小野眞一 (おの しんいち、1974年1月28日-)は、日本ギタリストDJ
== 来歴 ==

1974年1月28日静岡県出身。血液型AB型。
幼少の頃から音楽を嗜んでおり、2歳から14歳までピアノを習っていた。
15歳の時にベース、16歳の時にギターを始める。THE BLUE HEARTSを聴いて影響されたのがきっかけであったという。はじめてのDJは池袋のバー、マダムカラスにて19歳の時であった。
2000年、shortcut miffy!のメンバーとしてデビュー(バンドはその後解散)。
2001年、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001年に、現100sのボーカリストである中村一義のサポートメンバーとして参加。同年秋に、バンドtaeを結成。
2004年、100sのメンバーとして活動開始。
2011年、taeを脱退。
2011年、babamaniaのyujinとbathbeerを結成。
2011年、mooolsの酒井とペン・0のサインとして活動。
現在、ギタリストとしては100sのほか、自身がボーカルを務めるバンドであるフィッシュバスケットでも活動を行っている。フィッシュバスケットは2013年結成20年を迎えた。また100sの山口寛雄、babamaniaのyujin、ayano、miiinaらと
film son tangoとしても活動しており、渋谷のバーedge endの18周年のイベントにてデビューライブを行った。
その他、カバーバンドのような活動も行っており、以前はhasta la vista babies、penpalsのkinya、babamaniaのdaigo,中尾憲太郎らと、からくちくんというパンクカバーバンドで2回ほどライブを行った。2014年より、ウイルスセッションというカバーバンドにも参加している。
DJとしては2ヶ月に1回Alcoholidayというクラブイベントを保坂壮彦はんふぃそんと供に開催していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小野眞一」の詳細全文を読む



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