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小野鎮幸[おの しげゆき]
小野 鎮幸(おの しげゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。立花氏、加藤氏の家臣。日本七槍・立花四天王の一人に数えられる。また和泉守であることから小野和泉とも呼ばれる。 == 生涯 == 由布惟信に推挙されて立花道雪に仕えた。「剛勇にして智謀あり」と伝わる智勇兼備の武将で、生涯で二十二度の大戦、多数の小戦に参加して全身刀や槍、矢、鉄砲による六十七ヶ所の傷を受け、大友氏・立花両家から合計六十八枚の感状を受けた。家中に由布惟信と共に、立花道雪が孫子兵法の「奇正相生」を引用しての奇と正の両翼として立花双璧と称揚され、鎮幸は奇の将を任じた。 筑後国柳川城の城主となった道雪の子宗茂からは家中で最高の5千石の禄高を賜り、次席家老を務め、蒲池城主となった。文禄・慶長の役にも参加し、数々の武功を立てている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野鎮幸」の詳細全文を読む
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