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小野鑑子 : ウィキペディア日本語版
関鑑子[せき あきこ]

関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は昭和期の声楽家。本名小野鑑子。
== 経歴 ==
東京出身。東京音楽学校声楽科卒業。立花ふさハンカ・ペツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加。
1926年(大正15年)、新劇俳優の小野宮吉と結婚。1929年(昭和4年)、プロレタリア音楽家同盟に参画し、初代委員長になる。しかし、この運動は昭和初期に入って弾圧を受け一時消滅。
1948年(昭和23年)、中央合唱団を創立。
1951年(昭和26年)、音楽センター主宰者になって「うたごえ運動」を展開する〔日本人名大辞典+Plusの解説 〕。この運動は、コーラスによる平和運動として全国に広がり、1954年(昭和29年)には3万人の大集会に発展した。この運動の余波として、東京の新宿を中心に「うたごえ喫茶」、「うたごえ酒場」が隆盛した。
1955年(昭和30年)、スターリン平和賞(翌年にレーニン平和賞に改称)受賞。
1973年(昭和48年)5月1日メーデー集会の壇上で倒れ、翌2日にくも膜下出血のため死去。享年73。
カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」「全世界民主青年歌」「ウラルのぐみの木」など、ロシア語歌曲の訳詞を多く手がけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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