翻訳と辞書
Words near each other
・ 小野隆助
・ 小野隆史
・ 小野隆太郎
・ 小野隆弘
・ 小野隆洋
・ 小野隆生
・ 小野隆祥
・ 小野雄平
・ 小野電
・ 小野静雄
小野馬養
・ 小野駅
・ 小野駅 (京都府)
・ 小野駅 (兵庫県)
・ 小野駅 (滋賀県)
・ 小野駅 (長野県)
・ 小野駅 (鹿児島県)
・ 小野高明
・ 小野高校
・ 小野高等学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小野馬養 : ウィキペディア日本語版
小野馬養[おの の うまかい]
小野 馬養(おの の うまかい、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族小錦中小野毛人の子とする系図がある〔鈴木真年『諸国百家系図』上,小野朝臣〕。官位正五位下丹波守
== 経歴 ==
大宝3年(703年南海道巡察使に任ぜられる。翌大宝3年(704年)宮中の西楼の上に慶雲が現れたのをいち早く発見し、慶雲への改元のきっかけを作るとともに、第一発見者として従七位上から一挙に三階昇進して従六位下に叙せられる。
和銅元年(708年正六位下から二階昇進して従五位下叙爵し、帯剣寮長官に任ぜられる。また、同年平城京造営のために造平城京司が設置されるとその次官も務めている。和銅3年(710年)正月に元明天皇大極殿に出御して朝賀を受けた際、馬養は副将軍として騎兵隼人蝦夷らを率いて参列した〔『続日本紀』和銅3年正月1日条〕。その後、和銅6年(713年)従五位上、霊亀3年(717年正五位下と順調に昇進し、この間に少納言などを務めた。
養老2年(718年遣新羅大使に任ぜられて新羅に渡り、翌養老3年(719年)2月に無事に帰国する〔『続日本紀』養老3年2月10日条〕。同年3月には丹波守として、丹後但馬因幡国按察使に任ぜられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小野馬養」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.