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小雁塔(しょうがんとう、、)とは、中国唐代に長安城内の大薦福寺境内に、景龍中(707年 - 710年)に建立された磚塔である。 長安城の城坊では、中央部に近い、左街の安仁坊(旧・安民坊、太宗の名の「民」字を避諱。)の西北隅に当たる、薦福寺の子院(塔頭)である浮図院に建てられた。 == 概要 == 唐の中宗が、父・高宗の追善のために薦福寺を造営した時、宮人たちに銭を募って建てられた。全て磚でつくられ、15層88mの優美な形をしていた。薦福寺に住した三蔵・義浄が仏舎利や経典、仏像を安置するのに使用したと考えられる。当初は、上にまで登れたが、それを題材にした詩はほとんどない。 北宋の時に修復されたが、明代の地震などによって崩壊し、高さは、現状で13層43mとなっている。 大薦福寺の伽藍は変則的に配置されており、小雁塔は安仁坊にあるが、大薦福寺は、北隣の開化坊に在った。一名を華厳塔とも言う。 宋代以降、しばしば地震等で被災しており、数次の重修を経て今日の姿となっている。その中でも著名なのは、明の嘉靖34年(1555年)に記された塔下層に残る題記に見える、地震の被害と復旧にまつわる逸話である。それによれば、地震によって塔が二つに裂けたが、再度の地震によって元の姿に戻った、という。成化末年(1487年)に起こった地震で、塔に反対側が見える程の亀裂が走ったが、正徳末年(1521年)の地震により、ひと晩で塔が復旧した、と記されている。 2014年に「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として世界遺産に登録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小雁塔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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