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小鷹狩元凱 : ウィキペディア日本語版
小鷹狩元凱[こたかり もとよし]

小鷹狩 元凱(こたかり もとよし)は明治時代の軍人、政治家、郷土史家。号は預園、後に弘洲〔原発太郎「小鷹狩先生を憶ふ」〕。旧広島藩士。維新後陸軍に出仕して徴兵事務に携わり、大尉まで進むも、薩長による藩閥に反発して立憲改進党に入党し、自由民権運動に携わった。帝国議会開設後、度々衆議院議員総選挙に出馬するも苦戦し、一期務めたのみで引退、晩年は芸備協会での育英事業に専念し、また広島の藩政時代等についての事跡を書き残した。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
弘化3年3月8日(1846年)、安芸国広島城白島九軒町に広島藩士山下平八郎の五男として生まれた〔「小鷹狩元凱翁略伝」『小鷹狩元凱翁』〕。
安政2年(1855年)3月15日登島養介に書道、9月23日植田兼山に『論語』、安政3年(1856年)11月3日平木順次郎に漢籍、安政6年(1859年)2月8日石井翼山に書道、3月関留之介に剣術を学んだ〔「小鷹狩元凱翁年譜」『小鷹狩元凱翁』〕。万延元年(1860年)梅園介庵山田十竹に漢籍を学んだ〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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