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小鹿島更生園園長刺殺事件 : ウィキペディア日本語版 | 小鹿島更生園園長刺殺事件[しょうろくとうこうせいえんえんちょうしさつじけん]
小鹿島更生園園長刺殺事件(しょうろくとうこうせいえんえんちょうしさつじけん)は、1942年(昭和17年)6月20日に日本統治時代の朝鮮の全羅南道高興郡錦山面の癩療養所(現在のハンセン病療養所)「小鹿島更生園」で発生した殺人事件である。 == 事件の背景と概要 == 小鹿島更生園は、周防正季園長の主導の下、患者の収容作業を朝鮮全体で大々的に行っていたが、その際患者をボスの下で組織化し集団で入所の上でボスが収容患者をまとめるというシステムが行われた。こうしたことから、園長・スタッフ─患者ボス─一般患者による上下関係が出来上がり、園の意向を患者ボスが代弁する形で権力を持つ様になった。 1940年にボス患者の一人・朴順周が中心となって周防園長の銅像を建立する動きが起こり、周防園長自身が反対する中半ば強制的に献金が集まり建立にこぎつけた。この時の所内の状況について、収容者の一人が述懐している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小鹿島更生園園長刺殺事件」の詳細全文を読む
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