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スクナビコナ(スクナヒコナとも。表記は少名毘古那、須久那美迦微、少彦名、少日子根など。)は、日本神話における神。『古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。 スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)(=ガガイモの実とされる)に乗って波の彼方より来訪した。 『古事記』によれば、スクナビコナは大国主の国土造成に際し、天乃羅摩船に乗って波間より来訪し、オホナムチ(大己貴)大神の命によって国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述がある。スクナビコナが登場するのは、『記』・『紀』以外では『上記(ウエツフミ)』である。 スクナビコナはオホナムチ同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。その一方で、スクナビコナは悪童的な性格を有するという記述がある(『日本書紀』八段一書六)。スクナビコナはのちに常世国へと渡り去る。 スクナビコナの名前の由来について、『古事記伝』によれば「御名の須久那(スクナ)はただ大名持(オホナムチ)の大名と対であるため」とある。あるいは金井清一によれば「若き日の御子」の意とする説がある。また、この神が必ずオホナムチと行動を共にすることから、二神の関係が古くから議論されている。 スクナビコナは、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。 酒造に関しては、酒は古来薬の一つとされ、スクナビコナが酒造りの技術を広めたことと、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えたときの歌に「少名御神」の名で登場することから、酒造の神であるといえる。 石に関しては、記述よりそうした面が見られると想像されるだけであり、あくまで性質的なものである。 大林太良はこの神に「第二の自我」を見、吉田敦彦は双生児的な関係を指摘している。海から来訪したとの記述により渡来人という説もあるが、船で渡来=外国人という単純な図式からの連想であり、奇説の域を出ない。 == スクナビコナを祀る主な神社 == * 各地の少彦名神社 * 北海道神宮(北海道札幌市中央区) - 他、北海道内には同神宮(または札幌神社)から開拓三神として大那牟遅神(大国主神)・大国魂神とともに分祀された神社多数。 * 酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市) * 大洗磯前神社(茨城県大洗町) * 小祝神社(群馬県高崎市) * 神田神社(東京都千代田区):二之宮のご祭神。 * 布多天神社(東京都調布市) * 穴澤天神社(東京都稲城市) * 五條天神社(東京都台東区上野公園) * 沙沙貴神社(滋賀県近江八幡市安土町常楽寺) * 五條天神社(京都府京都市下京区) * 生根神社(大阪府大阪市住吉区) * 生根神社(大阪府大阪市西成区):同市住吉区の生根神社より分祀。 * 大江神社(大阪府大阪市天王寺区) * 桑津天神社(大阪府大阪市東住吉区) * 服部天神宮(大阪府豊中市) * 大神神社(奈良県桜井市) * 天神社(奈良県奈良市高畑町) * 淡嶋神社(和歌山県和歌山市) * 十二所神社(兵庫県姫路市) * 粟島神社(鳥取県米子市彦名町) * 十二社神社 (掛川市) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スクナビコナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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