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尚州の戦い[しょうしゅうのたたかい]
尚州の戦い(しょうしゅうのたたかい、朝鮮語読み:尚州はサンジュ)は、文禄元年(1592年)4月24日(旧暦)、尚州市の近くで戦われた文禄・慶長の役初期の戦闘の一つである。 == 背景 == 釜山から漢城府(京城)に向かう街道は三路あり、そのうちの1つ中路は、梁山→密陽→清道→大邱→仁同→善山→尚州→聞慶から鳥嶺を越えて都に達するものだったが、尚州城は慶尚道の中で最も重要な拠点であった。 慶尚道巡察使金睟は、「制勝方略」という事前の計画に則って、聞慶以下の周辺の邑々の守令に命じて大邱に軍兵を集結させ、自身も同地で待機して中央から将が派遣されるのを待っていた。ところが、小西行長が率いる一番隊の進撃が予想以上に早く、日本軍迫るの報告に、招集されたばかりの朝鮮将兵は動揺して、夜の間に脱走し、戦う前に軍は潰散してしまった。 これで、同じ頃の慶尚左兵使の逃亡と合わせて、慶尚道の防衛体制は完全に崩壊した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尚州の戦い」の詳細全文を読む
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