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尚弘子(しょう ひろこ、1932年 - )は、日本の農業博士。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。 夫は尚順の六男である尚詮(1926年-1990年)であり、琉球国王に連なる家系である〔。 == 略歴 == 1932年に沖縄県で生まれる〔〔。 ガリオア資金を受け、アメリカ合衆国ミシガン州立大学家政学部に留学〔。1954年に卒業(学士号取得)し、1956年には同大学大学院で栄養学修士課程を修了する〔。帰国してすぐに琉球大学講師として勤務。ガリオア資金留学生の同窓会「金門クラブ」で後に沖縄県知事となる大田昌秀と面識を得る〔。 1958年に尚詮と結婚する〔。1972年に琉球大学で教授に就く。 1982年には九州大学で農学博士号を取得する〔。 大田昌秀の県知事占拠での公約に「女性副知事の登用」があったが、人選に難航。「金門クラブ」のメンバーが尚を推したことで、就任依頼が行われた。夫である尚詮は1年前に亡くなっていましたが、政治の世界に非常に興味を持っていたこともあり、尚は亡き夫の霊の導きもあったのかもしれないと語っている〔。1991年8月、日本では2番目となる女性副知事として沖縄県副知事に就任し〔〔、1994年の任期まで勤める〔。 その後、沖縄県公安委員会委員長、NHK経営委員会委員、沖縄協会理事、沖縄観光コンベンションビュロー理事、健康科学財団理事、沖縄国際大学理事などを歴任する〔。2005年より、琉球大学名誉教授を勤める〔。 2006年11月3日瑞宝中綬章を受賞する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尚弘子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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