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尚貞王(しょうていおう、1646年1月22日(順治2年12月6日) - 1709年8月18日(康煕48年7月13日))は琉球第二尚氏王朝第11代国王(在位:1669年 - 1709年)。第10代国王尚質王の子。 尚貞王のときに蔡鐸(蔡温の父)が中山世譜を編集した。 1683年(康煕22年)に冊封を受けた際、中山世土と書かれた額を与えられた。!---> == 家族 == *父・尚質王 *母・美里按司加那志 *妃・奥間按司加那志(号・月心。父は佐久真殿内二世宜野湾親方正信) *継妃・真壁按司加那志(号・慈恩。父は方氏六世立津親方全敦) *妻・武富阿護母志良礼(号・仙岳。父は馬氏三世牧港親雲上厚宗) *子女 *長男・尚純、中城王子(母は妃。尚益王の父) *次男・尚経、豊見城王子朝良(母は妃。豊見城御殿元祖) *三男・尚網、小禄王子朝奇(母は慈恩。具志頭御殿元祖) *四男・尚紀、美里王子朝禎(母は慈恩。大宜見御殿元祖) *長女・松堂翁主(母は慈恩。向氏嘉味田殿内六世小津波按司朝恒に嫁ぐ) *次女・思真鶴金翁主(母は慈恩。享年10) *三女・内間翁主(母は慈恩。羽地御殿八世羽地按司朝維に嫁ぐ) *四女・識名翁主(母は慈恩。国頭御殿九世国頭按司正長に嫁ぐ) *五女・安室翁主(母は慈恩。金武御殿六世金武王子朝祐に嫁ぐ) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尚貞王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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