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尹フ善 : ウィキペディア日本語版
尹ボ善[ゆん ぼそん]

尹 善(ユン・ボソン、1897年8月26日 - 1990年7月18日)は、大韓民国第4代大統領本貫は、海平尹氏は海葦( ヘウィ)。尹致昊·尹致旺の従甥、尹致暎の甥。尹致昭(尹致暎の異母兄)の長男。
忠清南道牙山郡(現在の牙山市)生まれ。独立後初代のソウル市長として政界入りし、商工相・大韓赤十字社総裁を経て民主党最高委員に。4.19革命李承晩が失脚・亡命すると、民主党旧派の代表格として8月12日に大統領に選出された〔今日の歴史(8月12日) 聯合ニュース 2009/08/12〕。しかし、新派の代表格で政治的実権を握っていた張勉首相との確執が絶えず、自ら民主党を離党して新民党を結成。5・16軍事クーデターの遠因を作った。
大統領辞任後は野党の指導者として2度朴正煕に挑戦するなどし、軍事政権への抵抗と民主化運動に取り組んだ。
== 生涯 ==
尹善は、李氏朝鮮時代の1897年建陽2年/光武元年)8月26日に、忠清道牙山郡屯浦面新項里にて、父・尹致昭と母・李範淑の子として生まれる。1903年(光武7年)、漢城府(現在のソウル)の漢城府校洞普通学校に入学し、1907年(光武11年/隆熙元年)に卒業する。その後、1910年(隆熙4年)4月に京城の京城日之出小学校の5年生に編入した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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