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『尻の美しいウェヌス』、別名Aphrodite Kallipygos () あるいは Callipygian Venus、いずれも尻の美しいウェヌス(あるいはアプロディーテー)の意、〔From the Greek words κάλλος (beauty) and πυγη (buttocks). The English "callipygian" has the same derivation and meaning.〕 は、古代ローマの大理石の彫像であり、より古いギリシアのオリジナルのコピーであると考えられている。 アナサーマ(anasyrma)の例として、これは、部分的に布がひだをなして掛けられている女性を描写しているが、彼女は、腰と尻をあらわにするために軽いペプロスを上げ、そして肩ごしにふり返り見下ろしているが、これはひょっとするとそれらを評価しているかもしれない。 主題は、慣習的にウェヌスと確認されているけれども、おなじようにそれは、死すべき運命にある女性の肖像であるかもしれない。 このこんにち現存する大理石像は、紀元前1世紀後半にさかのぼる。〔Havelock, p. 100.〕 モデルである、失われたギリシャのオリジナルは、青銅製であって、かつ紀元前300年ころ、ヘレニズム期の最初のころ、制作されたと考えられている。〔 大理石の複製の出所は、未詳であるが、しかしそれは、頭部を欠いたまま、近世後期(early modern era)に再発見された。 その頭部は、最初は16世紀に、そしてふたたび18世紀に、修復された(そのばあい彫刻者は、より初期の修復をかなり綿密にたどった)。 修復された頭部は、肩ごしにふり返らされて、彫像の裸の尻にさらなる注意をひきつけ、したがってその人気の一因となった。〔Fenton, p. 16.〕 17世紀と18世紀に、彫像はウェヌスと確認され、そしてアテナイオスによってその『''食卓の賢人たち''』において議論されたシラクーザのアプロディーテー・カッリピュゴス(Aphrodite Kallipygos)の神殿と関連させられた。 この彫像は、いくたびもコピーされ、そのなかにはジャン=ジャック・クレリオン(Jean-Jacques Clérion)とフランソワ・バロワ(François Barois)によるものもふくまれている。 == 歴史 == われわれが知っているウェヌス・カッリピュゴス(Venus Kallipygos)は、紀元前1世紀後半にさかのぼる、大理石製の古代ローマの作品である。 これは、より古い古代ギリシアの、おそらくは青銅の、彫像のコピーあるいは「パラフレーズ」("paraphrase")であると見なされている。 この失われたオリジナルは、ヘレニズム期の最初ちかく、紀元前300年ころに制作されたと考えられている。〔 その彫刻者と出所は、未詳である。 これは、少なくとも16世紀までにローマにおいて、頭部を欠いたまま、再発見された。 これは、ネロのドムス・アウレアの廃墟で見つかったとときどき、いわれているけれども、そこで明るみに出された断片が、ウェヌスのような高品質の美術作品の証拠をふくまないため、これはありそうもない。〔Moormann 2003.〕 欠けている頭部は、16世紀にふたたび組み立てられた。 より徹底的な再組立は、18世紀後半にイタリアのカルロ・アルバチーニ(Carlo Albacini)によって請け負われた。〔 修復者らは、人物像に、ふりかえり肩ごしに自分の尻を見させるように決心したが、この選択はウェヌスに独特のポーズをあたえ、そして作品ののちの解釈に重要な影響をあたえた。〔〔Beard, p. 123.〕 この彫像は、ファルネーゼ家によって取得され、そして1954年までにはパラッツォ・ファルネーゼに在った。 これは、その世紀のより初期に訪問者らによって宮殿にあると評されたウェヌスであるかもしれない。〔Haskell, p. 316.〕 それは、17世紀に宮殿の「哲学者らの部屋」(''Sala dei Filosophi'')に保たれてきたと知られているが、そこでそれは18の古代哲学者の彫像に取り囲まれて立っていた。 1731年に、ファルネーゼ所有地は、カルロス3世によって相続されたが、カルロス3世は、このウェヌスをふくむ、大理石彫像のうちのいくつかを、テヴェレ川をこえて、ヴィラ・ファルネジーナ(Villa Farnesina)に移動させた。〔Haskell, p. 66 and note; 316.〕 1786年に、ブルボン家の人々は、ウェヌス・カッリピュゴスをファルネーゼ・コレクションの残りとともに、ナポリに移動させる決心をした。 しかしながら、最初はこれは、カルロ・アルバチーニによって修復されるべく送られた。 彫像の特徴のいくつかにたいする同時代の批評に応えて、アルバチーニは、頭部、両腕および片脚を置き換えた。 〔Haskell, p. 318.〕彼は、人物像を肩ごしにふり返らせることにおいてかなり忠実に先立つ修復にしたがった。〔 1792年までに彫像は、ナポリのカポディモンテ美術館に在って、そして 1802年までにそれは、学術美術館(Museo degli Studi)、現ナポリ国立考古学博物館(英語:Naples National Archaeological Museum)にあったし、そしてそのままである。〔Haskell, pp. 316–317.〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尻の美しいウェヌス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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