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尻垂坂の戦い[しりたれざかのたたかい]
尻垂坂の戦い(しりたれざかのたたかい)は、元亀3年(1572年)9月初旬に越中国尻垂坂(現 富山県富山市西新庄)において、上杉謙信軍が加賀一向一揆・越中一向一揆連合を破った戦い。富山城の戦いと言われることもある〔この戦いに前後して富山城の争奪戦が繰り広げられたため、富山城の戦いと表記する文献もあるが、上杉軍と一揆勢の主力が激突した野戦の舞台は、尻垂坂である。また「富山城の戦い」は、永禄3年に上杉謙信と神保長職が戦った合戦や、その後の佐々成政による合戦を指す場合があり、混同の恐れがある。〕。 == 概要 == 加賀・越中など北陸の一向一揆は、織田信長と戦った石山本願寺の一向一揆と同様に大量の鉄砲を保有しており、また一向宗の宗徒で構成されていたため団結力も強固であった。謙信にとって一向一揆は、武田信玄や北条氏康に次ぐ強敵であった。謙信はこの尻垂坂の戦いを含む前後一連の戦いでの勝利により、越中において一揆等の反上杉勢力に対する優位が決定的となり、主導権を確立して後に越中を平定。京への上洛を目指す道を拓いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尻垂坂の戦い」の詳細全文を読む
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