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尼子就易[あまご なりやす] 尼子 就易(あまご なりやす、? - 万治2年(1659年))は、江戸時代初期の長州藩士。尼子氏8代目当主。父は宍道就兼、母は尼子倫久の娘。同じく倫久の子(すなわち母方の伯父)で7代目当主尼子元知の養子。別名に久佐孫三郎、または佐佐木就易と名乗る。 戦国時代において隆盛を誇った尼子氏であったが、6代目当主尼子義久の代に毛利氏に攻められ滅亡し、就易は毛利氏の家臣として遇されていた。また、宍道氏は就易の曽祖父にあたる宍道隆慶の母が尼子国久の娘にあたることもあり、その血縁も含めて養子入りしたものと思われる。 諱(名前)の「就」の字は、藩主・毛利秀就より偏諱を賜ったものであり、秀就とその子綱広(※慶安4年(1651年)に秀就が死去して綱広が藩主を継ぐ)の二代に亘って長州藩士として仕えていたものとみられる。綱広が藩主に就任してまだ間もない万治2年(1659年)に死去。実子は無かったため、従弟の佐佐木氏久が綱広から1字賜って広高と改名の上で家督を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尼子就易」の詳細全文を読む
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