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尾上卯太五郎 : ウィキペディア日本語版
尾上卯多五郎[おのうえ うたごろう]

尾上 卯多五郎(おのうえ うたごろう、1875年1月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.128.〕〔''尾上卯多五郎''、''jlogos.com'', エア、2013年1月17日閲覧。〕〔''尾上宇多五郎''日本映画データベース、2013年1月17日閲覧。〕〔''尾上卯多五郎''、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月17日閲覧。〕〔''尾上卯多五郎''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月17日閲覧。〕〔''尾上卯多五郎''、日活データベース、日活、2013年1月17日閲覧。〕。本名山田 卯吉(やまだ うきち)〔〔。尾上 宇多五郎尾上 卯太五郎と表記に揺れがある〔。歌舞伎から剣戟映画に満44歳で転向し、還暦を迎えるまで日活京都撮影所に所属した〔〔。
== 人物・来歴 ==
1875年明治8年)1月1日大阪府大阪市に生まれる〔〔〔。
旧制・尋常小学校を卒業後、二代目尾上卯三郎の門下に入って歌舞伎役者になり、大阪の朝日座で初舞台を踏んだ〔〔。1916年(大正5年)9月1日に公開された天然色活動写真製作・配給の映画『忍術三勇士』に出演した記録がある〔。1919年(大正8年)、満44歳で日活京都撮影所(のちの日活大将軍撮影所、現存せず)に入社、映画俳優に転向する〔〔。同撮影所のスター俳優・尾上松之助主演の映画に、老け役として多数の映画に出演した〔〔〔。1924年(大正13年)8月1日に公開された池田富保監督の『鬼作左衛門の娘』、1925年(大正14年)2月8日に公開された公木之雄監督の『怪力八郎』、同年3月20日に公開された池田富保監督の『フラフラ豪傑』、同年5月29日に公開された築山光吉監督の『復讐と女』では主演もしている〔。同年11月1日に公開された「尾上松之助主演千本記念映画」、池田富保監督の『荒木又右衛門』にも、渡辺靭負の役で出演した〔〔。1926年(大正15年)9月11日、尾上松之助が死去した後も、引き続き同撮影所で脇役として出演を続けた〔〔、2013年1月17日閲覧。〕。1927年(昭和2年)秋には、撮影所が太秦に移転(のちの大映京都撮影所、現存せず)し、卯多五郎もともに移転して引き続き出演した〔。大久保彦左衛門役をやることが多く、『彦左の恋』(監督不明、1923年)、『忍術一夜大名』(監督高橋寿康、1926年)、『剣乱の森』(監督渡辺邦男、1928年)と3作を数えた〔。
1930年(昭和5年)3月14日に公開された伊丹万作監督の『春風の彼方へ』以降は、片岡千恵蔵プロダクション製作の作品に多く出演した〔。1933年(昭和8年)6月1日に公開された池田富保監督の『楠正成』は、太秦発声映画の製作による、卯多五郎にとっての初のトーキーであった〔。卯多五郎満59歳最後の日、翌日還暦の誕生日を迎える1934年(昭和8年)12月31日に公開された小石栄一監督のトーキー『斬風三尺剣』以降の出演記録が見当たらない〔〔〔。脇役が多く、クレジットが記録に残らなかったものを含めると、出演作は数百に上るという〔。満60歳の時点以降の消息は不明であり、没年不詳〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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