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尾上泰次郎(おのえ たいじろう、生年不明 - 1927年(昭和2年)9月2日)は歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。 ==来歴・人物== 兄と同じく東京都日本橋に生まれた。父は五代目尾上榮三郎。兄は七代目尾上榮三郎。 1914年(大正3年)1月、尾上泰次郎を襲名。 1926年(大正15年)5月7日に金沢市にて、兄の榮三郎が呼吸器疾患のため25歳の若さで死去した〔今昔芝居暦 大正13~15年(昭和元年) まるの部屋HP〕。その時、父の六代目尾上梅幸(五代目尾上榮三郎より改名)と共に榮三郎の最期を看取っている〔。 だが、泰次郎も生来病弱であり、榮三郎の死から僅か1年4ヶ月後の1927年(昭和2年)9月2日に夭折した。 将来を嘱望していた子供2人に先立たれてショックを受けたのか、六代目梅幸は泰次郎の死から7年後の1934年(昭和9年)に亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾上泰次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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