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尾口第一ダム : ウィキペディア日本語版
尾口第一ダム[おぐちだいいちだむ]

尾口第一ダム(おぐちだいいちダム)は、石川県白山市一級河川手取川水系尾添川に建設されたダム。高さ28.4メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力発電用ダムである。同社の水力発電所・尾口発電所に送水し、最大1万7,600キロワットの電力を発生する。
== 歴史 ==
1919年大正8年)、大同電力社長・福澤桃介を中心として設立された白山水力は、手取川水系において1926年(大正15年)に吉野谷発電所を、その下流に鳥越発電所を1928年昭和3年)に完成させたのち、1933年(昭和8年)2月、同じく福澤桃介が興した矢作水力へと合併した。矢作水力は白山水力が有していた手取川水系の発電所を継承し、それらのさらに上流に尾口発電所の建設を計画した。建屋を構えるのは、手取川の支流・尾添川と、さらにその支流・目附谷川(めっこだにがわ)が合流する地点である。尾添川と目附谷川、それぞれのからを取り入れ、それぞれ異なる水路によって発電所建屋まで送水し、それぞれ異なる水車発電機によって発電するというものである。
尾添川上流において、発電用の水を取り入れるためのダムとして設計されたのが尾口第一ダムである。その建設工事は1936年(昭和11年)に着工し、1938年(昭和13年)に完成した。尾口第一ダムを起点とする第一水路は、水路の途中に調整池を設けることで、任意での出力調整を可能としている。落差は159.2メートルで、発電用水車としてフランシス水車を採用した2台の水車発電機が設置された。一方、目附谷川より取水する第二水路は取水量が少なく、水車発電機は1台限りとなったが、落差は278.2メートルと大きいため、これに対応するべくペルトン水車を発電用水車に採用した。
建設工事は第一水路が先んじて完了し、1938年12月より第一水路からの送水のみで尾口発電所が運転を開始。1940年(昭和15年)1月には第二水路の工事も完了し、当初予定していた1万7,200キロワットの出力を達成した。その後、1939年(昭和14年)年に日本発送電が発足。尾口発電所は1942年(昭和17年)に出資されたが、戦後は日本発送電が分割民営化され、最終的には北陸電力が継承した。2004年平成16年)、北陸電力は尾口発電所の出力を400キロワット増強し、1万7,600キロワットとした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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