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尾崎 瑛一郎(おざき えいいちろう、1984年12月7日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー選手。JFL・アスルクラロ沼津所属。ポジションはディフェンダー。 ==来歴== 小学校1年生でサッカーを始め、6年生の時に全国大会で優勝する〔GAINARE×Peeba Player's focus / No.28 DF 尾崎瑛一郎 〕。城山中学では主将を任され、「無名の高校を強くしたい」と考え、サッカー部を強化指定クラブにした直後の日生第二(現・青山)に進学〔朝日新聞、2003年1月1日付朝刊、三重地方面〕。高校でのポジションはそれまでと同じMFで、3年生になると主将を務めた。高校選手権の県大会決勝では先制のフリーキックを決めて西村弘司や飛弾暁を擁する四中工を破り〔朝日新聞、2002年11月17日付朝刊、三重地方面〕、同校初の全国高校サッカー選手権大会への出場を果たす。本大会では山形中央との初戦で先制のPKを決めるも、1対2で敗れた。また、同年度は三重県国体選抜や三重県高校サッカー最優秀選手に選ばれている。 反町康治の目に止まり、2003年1月28日にアルビレックス新潟と入団契約を結んだ。同年は高卒1年目ながら右サイドバックとして17試合に出場し、J1への昇格に貢献〔朝日新聞、2008年4月23日付朝刊、鳥取地方面〕。翌2004年には若手育成〔 と負傷した足のリハビリを兼ね〔、下部組織であるアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍された。2006年にはキャプテンを務めたが、アマチュアのメンバーを含むチームをまとめるのに苦労し、プレーに集中できずサッカーへのモチベーションを失いかけたという〔。2007年には新潟シンガポールに完全移籍したが、同年限りで解雇される〔。 2008年はヴィタヤ・ラオハクル監督(当時)に誘いを受け、2月にガイナーレ鳥取(当時日本フットボールリーグに所属)のキャンプに自費参加〔。同年3月に鳥取に入団した。2013年シーズン終了後、鳥取を退団。 2014年3月、アスルクラロ沼津へ移籍。 2015年2月15日、ガイナーレ鳥取の選手がお世話になった食堂「はしや」の女将の義娘、内間智美(内間安路の妻)が2013年12月に発症した肛門管癌の治療費を募る内間さんを支援する会の発起人を岡野雅行が務め、自身は代表を務める〔内間さんを支援する会 会公式サイト 2015年2月15日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾崎瑛一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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