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尾張久次 : ウィキペディア日本語版
尾張久次[おわり ひさじ]
尾張 久次(おわり ひさじ、1909年10月 - 1985年1月3日 )は、プロ野球スコアラーの草分けといわれる人物である。
==来歴・人物==
大阪府西成郡(現在の大阪市西淀川区)生まれ〔『ID野球の父』28、234頁〕。
1927年18歳の時、職工として大阪毎日新聞社に入社し、戦後の1949年運動部の記者となる。
業務の傍ら、膨大な資料を研究して、選手ごとの得意な球種や打席など傾向を調べ上げ、その分析力を南海ホークス監督の鶴岡一人に請われ1954年、初めて専属スコアラーとして採用された〔『ID野球の父』63-74頁〕。その資料は「尾張メモ」と呼ばれ、南海の黄金時代を築くのに大きく貢献した。またデータ野球の元祖となった尾張は惜しげもなくそのノウハウを他人にも教え、球界全体の発展にも大きく貢献した。南海に29年在籍した後、1980年西武ライオンズへ移籍。広岡達朗監督、森昌彦コーチ(共に1982年就任)は尾張のデータを非常に重要視した。
「スコアラー」という言葉は、蔭山和夫から「尾張さんのような仕事は何と言うのですか」と尋ねられた際に、蔭山が「大リーグの場合は公式記録員のことをオフィシャル・スコアラーと言うらしいですから。尾張さんもスコアをつける人だから」と言われたのを機に、尾張自ら「スコアラー」と名乗るようになったという〔『ID野球の父』79、80頁〕。 南海入団当時は「スコアラー」という言葉も尾張のような仕事をする人もいなかったため、球団とは契約という形は取れず事務職としての転職であった〔『ID野球の父』40、74頁〕。また当初は自チームの選手から、オレたちのプレーをチェックして球団に報告するスパイではと疑われたという〔『ID野球の父』76頁〕。野村克也は尾張メモについて「あれは相手を分析して戦力に生かすより、自分たちの契約更新時の査定用に導入したんです。毎年、契約でもめごと起こるから、きちんとした資料を作って役立てようということでね。だから実際ミーティングなんて日本シリーズ前にやるぐらいだったしその内容も柴田、真っすぐに強いから変化球をほうっておけ、土井、一発はないから思い切っていけ。、ホームランだけは打たれるな、これじゃあ、何も参考にならない」と述べている〔日本プロ野球監督列伝―1936ー2014、2014年、ベースボール・マガジン社、P6〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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