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尾張源氏
尾張源氏(おわりげんじ)は、平安時代後期に尾張国に土着した清和源氏の流れを汲む一族の呼称。 == 概要 == 源経基の第二子・満政を祖とし、代々美濃国方県郡八島や、近江国野洲郡八島〔『保元物語』に「近江源氏八島ニ有ケル佐渡兵衛重貞」とある。〕に地盤を有した八島氏の一族にあたる源重遠(浦野四郎・満政六代孫)が平安時代後期に尾張国春日井郡浦野の地(愛知県名古屋市北部)に土着したことに始まるとされる。以降、重遠の後裔は尾張国内にその勢力を拡げ、山田氏・葦敷氏・高田氏・小河氏などを称した〔山田氏は尾張国山田郡山田荘(愛知県名古屋市東区)、葦敷氏は同国春日井郡安食荘(同春日井市、名古屋市北部)、高田氏は同国愛智郡高田郷(名古屋市瑞穂区高田町)、小河氏は同国知多郡小川(同東浦町緒川)をそれぞれ本拠としたものと推定される。また高田氏は『吾妻鏡』建久元年6月29日条に「尾張国住人重家(高田重家)」の記述がある。〕ほか、一部は三河国にも進出した(足助氏)。治承・寿永の乱では源氏方として複数の戦死者を出しながらも平家方との戦いに加わったが、鎌倉幕府とは一定の距離を置き、承久の乱では美濃の木田氏・小島氏、三河の足助氏などと共に京方に与し多くの戦死者を出した。 その後も中世を通して幾つかの氏族が存続し、近世以降の著名な氏族に徳川家康の生母の家系として譜代大名となり江戸幕府の老中を多く輩出した水野氏や、山田氏の後裔で旗本として存続した岡田氏などがある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾張源氏」の詳細全文を読む
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