|
尾野 弘樹 ( おの ひろき、1992年7月15日 - ) は、奈良県出身〔http://www.honda.co.jp/enjoyhonda/thanksday/guest/hirokiono/〕のオートバイレーサー。 == 経歴 == 鈴鹿サーキットの地方選手権2006年シリーズチャンピオンを経て、2007年よりバトルファクトリーチームから全日本ロードレース選手権GP125クラスに参戦を開始。2008年には第5戦鈴鹿で初表彰台(2位)を獲得し〔http://battle.co.jp/team_battle/2008/2008rd5.htm〕、年間ランキング3位となった。またこの年の日本GP125ccクラスのレースにはワイルドカード枠で参戦、24位でグランプリデビューを終えた。 2009年は第3戦オートポリスで初優勝を果たし〔http://www.battle.co.jp/team_battle/2009/2009rd3.htm〕、2年連続で年間ランキング3位を記録した。また17歳以下のライダーを対象としたユースカップでは、2年ともチャンピオンとなった。 2009年の全日本閉幕後はスペインロードレース選手権(CEV)の125ccクラスに2戦スポット参戦、前年にGPで小山知良が使用したKTMのマシンを持ち込んだ尾野は、デビュー戦のヘレスでいきなり3位表彰台を獲得する活躍を見せた〔http://www.motogp.com/ja/news/2009/Victories+for+Zarco+Silva+and+Simeon+in+Jerez+0〕。 2010年はCEVにフル参戦する予定だったが、シーズン序盤にイタリア選手権(CIV)に鞍替えすることとなった。第2戦モンツァより名門RUMIチーム〔RUMIチームは1988年・1989年にはフレッド・マーケルがスーパーバイク世界選手権でチャンピオンを獲得、同時期には世界GP125ccクラスで女性ライダーのタル・リンネが活躍した。〕でオリジナルの125ccマシンの開発を兼ねて出場〔http://www.civ.tv/articolo.asp?id=389〕した尾野は、第6戦ミザノで初表彰台(3位)を獲得、年間ランキングでは5位となった〔http://www.civ.tv/classifiche.asp?s=2010&c=1&a=1〕。またこの年の全日本ロードレース選手権J-GP3クラスには2戦スポット参戦。第2戦オートポリスは雨天で決勝中止、最終戦鈴鹿では勝利を挙げた〔http://www.superbike.jp/news/2010/10/post_229.html〕。さらにこの年のヨーロッパ各国選手権の上位陣が一堂に会し、スペインのアルバセテ・サーキットで開催されたヨーロッパ選手権レースにも参戦したが、リタイヤに終わった〔http://www.motogp.com/ja/news/2010/race+european+championshp〕。 はイタリアのカレッタ・テクノロジーチームから、ロードレース世界選手権125ccクラスに開幕戦から参戦を開始した〔http://www.motogp.com/ja/news/2010/entry+list+2011+125〕。ワークスとしては2009年シーズンをもってグランプリから撤退して開発が止まっているKTMのマシンを駆り、ウェットレースとなった第2戦スペインGPでは8位入賞を果たすなどの健闘を見せていたが、第5戦カタルニアGP以降はアレクシ・マスボーにシートを奪われてしまった〔http://www.cybermotard.com/Le-retour-d-Alexis-Masbou-en-GP-125-des-l-epreuve-de-Barcelone,1948.html〕。だが、2012よりADC「アジアドリームカップ」に、日本代表として参戦し 翌年の2013年にはシリーズチャンピオンに輝く。2014年からは旧ヨーロッパ選手権「CEV」にteam AsiaからTSR3で参戦し、ランキング3位になる。2015年からはFIM 世界選手権Motogpのmoto3に参戦する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾野弘樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|