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屋代 忠知(やしろ ただとも、寛文11年(1671年)- 正徳2年3月14日(1712年4月19日))は、江戸時代前期の武士。安房北条藩の嫡子だった。屋代忠位の次男。正室は大河内松平正信の娘。継室は牧野成貞の養女。 本来なら安房北条藩の4代藩主となるはずだったが、父・忠位は正徳元年(1711年)に改易された。翌正徳2年(1712年)、忠知は42歳で没した。子はなく、代わって弟の屋代正勝が嫡子となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「屋代忠知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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