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屋代氏[やしろし] 屋代氏(やしろし)は、河内源氏(清和源氏)の村上氏の支流で、信濃国埴科郡屋代郷(現長野県千曲市)を本拠地とした一族。 ==出自== 源義仲配下の武将として知られる村上為国の子明国の孫家盛が埴科郡屋代郷に住して、屋代家盛と称したことに始まり、子の仲盛の次男が二郎を称し下条に三男仲基は上条に住んだ。四男仲継が五郎、五男景仲は六郎を称した(『尊卑文脈』)。承久の乱の折宇治橋の戦いでの手負いの人々の中に屋代兵衛尉の名がある(吾妻鏡)。文治2年(1186年)に後白河法皇が荘園の年貢未納分の督促し九条城興寺領加納屋代四ヶ村としている。屋代直経が倉科庄東条内を領した幕府下知状の記録が正応3年(1290年)にある。また市河文書に雨宮・倉科など屋代条里制遺構地帯で九条城興寺領の年貢を掠め取ったと訴えられており建武の頃の屋代氏はこの地域で勢力を伸張していたものと思われる。 戦国期の屋代氏は、室町時代の至徳4年(1378年)に信濃守護斯波義種の守護代二宮氏泰と争ったことで知られる村上頼国(村上中務大輔入道)の子満照を祖としている。 この明国系と頼国系の両系統の関係については、詳しくは判明していない。永正から天文年間に屋代城を築いた屋代信光は明国系屋代氏と思われるが、大永2年(1522年)に頼国系屋代氏の屋代政国が満照寺を創建したとする寺伝などの傍証から、大永2年ごろには頼国系屋代氏がこの地の実質的な支配者となっていたと考えられている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「屋代氏」の詳細全文を読む
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