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屋島城 : ウィキペディア日本語版
屋嶋城[やしまのき やしまじょう]

屋嶋城(やしまのき/やしまじょう、屋島城)は、香川県高松市屋島に築かれた古代山城である。城跡は、1934年(昭和9年)11月10日、国指定の史跡「屋島」〔-高松市〕および、国指定の天然記念物「屋島」〔-高松市〕に包含される。
==概要==
日本書紀』に「讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこほりのやしまのき)」と記述された城跡である〔『日本書紀』の天智天皇 六年 十一月の条に「 是月、築 倭國高安城 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」と記述する。〕。
いにしえの屋島は南北5キロメートル・東西2キロメートルの島であり、海外交流・交易の主海路に面した要衝であった〔高松市歴史資料館 編『屋島ーシンボリックな大地に刻まれた歴史ー』、高松市、2014年、2頁。〕。江戸時代塩田開発と後の埋立にともない、陸続きのようになる〔屋島風土記編纂委員会 編「屋島の風土と環境」『屋島風土記』、屋島文化協会、2010年、9頁。〕。
屋島は南嶺の標高292メートル〔国土地理院基準点成果等閲覧サービス ー国土地理院〕・北嶺の標高282メートル、山頂部は平坦で広い台地であり、両者は細い尾根で接続されている。南北嶺の山上全域が城跡とされている〔南嶺城跡説の論者も存在する。向井一雄「外城ラインに関する一考察」『戦乱の空間』第4号、戦乱の空間編集会、2005年、121頁。〕。山上の外周7キロメートルのほとんどが断崖で、南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に城壁が築かれている〔高松市教育委員会 編『高松市埋蔵文化財調査報告第62集 史跡天然記念物屋島 』、高松市、2003年、63頁124頁。〕。山上からは山下の様子が明確に把握でき、メサの地勢を〔讃岐ジオサイト(10)屋島 -香川大学〕有効に活用した城で、懸門(けんもん)構造〔朝鮮半島の山城をルーツとする様式で、城門の入口に進入しにくい段差のある城壁を設け、普段は梯子などで出入りし、戦闘時は撤去する構造の門で、防御性能を高める構造。〕の城門の存在が判明したのは国内初のことであった〔韓国、忠北大学のチャ ヨンゴル教授は「階段状の城門は懸門式だった可能性が高い」と評する。山陽新聞、2002年6月25日閲覧。〕〔 高松市教育委員会 編『高松市埋蔵文化財調査報告第113集 屋嶋城跡Ⅱ 』、高松市、2008年、50頁62頁。〕。この懸門の存在は、大野城基肄城と同様に屋嶋城の築城においても、百済からの亡命者が関与したことが窺える〔渡邊誠「「日本書紀」に記載の残る屋嶋城」『教育時報』通巻762号、 岡山県教育委員会、2013年、17頁。〕。浦生(うろ)集落の砂浜が広がる海岸から谷筋を登れば山上に通じた道があり、標高100メートルの山中に谷を塞いだ石塁がある。この遺構大正時代に発見され、山上の石塁が発見されるまでは屋嶋城の唯一の遺構であった。山上の城は、断崖を利用して城壁は築かれなかったとされていた。しかし、考古学の視点では未実証で、多くの研究者が実態の不明な古代山城に位置づけていた〔 山元敏裕「古代山城屋嶋城について」『歴史に見る四国―その内と外―』、地方史研究協議会、2008年、267頁279頁。〕。2009年度の調査で7世紀後半代の遺構であることが判明した〔高松市教育委員会 編『高松市埋蔵文化財調査報告第131集 高松市内遺跡発掘調査概報 』、高松市、2011年、26頁。〕。浦生地区の遺構は、山上の城への進入路を遮断した城である〔 。
城門遺構の復元と見学路などが整備され、2016年3月19日より、一般公開されている〔歴史ロマン「開門」。四国新聞、2016年3月20日閲覧。〕。
山上からは、西方約28キロメートルの香川県の五色台と岡山県の鷲羽山に挟まれた備讃瀬戸の海路を望むことが出来るとともに、讃岐城山城〔香川県坂出市に所在する国指定の史跡「城山」まで、約21キロメートル。〕と鬼ノ城〔岡山県総社市に所在する国指定の史跡「鬼ノ城山」まで、約52キロメートル。〕が視野に入る〔村上幸雄 乗岡 実 著『鬼ノ城と大廻り小廻り』、吉備人出版、1999年、2頁。〕。
島内には、北端に長崎鼻(ながさきのはな)古墳〔5世紀初頭の全長45メートルの前方後円墳で、石棺は阿蘇溶結凝灰岩製である。〕・北嶺山上に千間堂(せんげんどう)跡〔屋島寺の前身の仏堂跡(礎石建物)で、基壇から多口瓶が3個体出土している。〕・東岸の入江(屋島湾)の一帯は源平合戦屋島古戦場・北端の岬に高松藩が築いた砲台跡などがある〔香川県の歴史散歩編集委員会 編『香川県の歴史散歩』、山川出版社、2013年、38頁。〕。
四国にある古代山城は、屋嶋城・讃岐城山城・永納山城〔愛媛県西条市に所在する国指定の史跡「永納山城跡」。〕の三城である。
屋嶋城跡は、瀬戸内海国立公園瀬戸内海国立公園 ー環境省〕の指定地内に所在する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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