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山の上ホテル(やまのうえホテル、Hilltop Hotel)は、東京都千代田区神田駿河台にあるホテルである。日本におけるクラシックホテルのひとつであり、特に1936年(昭和11年)に完成した旧館の建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装を残している。 == 沿革 == ホテルは1954年(昭和29年)の開業で、表通りからは奥まった神田駿河台の高台に位置している。 シンボルとも言える鉄筋コンクリート建築の旧館は、1936年(昭和11年)に明治大学OBで石炭商だった佐藤慶太郎の寄付を基にアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により「佐藤新興生活館」として完成した。当初は財団法人日本生活協会の管理下に置かれ、太平洋戦争(大東亜戦争)中には帝国海軍に徴用、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されて陸軍婦人部隊の宿舎として用いられていた。 ホテルとしての開業は1954年(昭和29年)1月20日で、GHQの接収解除を機に、実業家・吉田俊男(1913-1992)が佐藤家から建物を借り入れる形で創業した。ホテル名は、GHQ接収時代にアメリカの女性兵士・軍属の間で建物の愛称になっていた「Hilltop」が起源で、これを吉田が「丘の上」でなく敢えて「山の上」と意訳したことによる。 吉田は長く旭硝子の営業部門につとめていた人物で、この前年に独立して個人事務所を設立、知人から旧・佐藤新興生活館の接収解除を伝えられたことを機にホテル業に参入した。吉田は自らの手で花森安治のコピーライティング等とも通底する個性ある広告コピーを執筆し、ホテル経営の素人であることを逆手に取った懇切な接客体制に務めるなど、その後半生を費やしてこのホテル独特のアットホームなサービス文化を築いた。吉田俊男の死後、ホテルの運営は吉田の子孫によって行われている。 1970年、別館が増築された。2012年(平成24年)時点でも総室数74室と小規模ながら、瀟洒なしつらえと行き届いたサービスによって知られ、レストラン・バーなどの付属供食部門が充実していることでも評価を受けている。 2013年4月5日午後4時35分頃、別館屋上の機械室から出火、廃材などが燃える火事があり、宿泊客らが避難した。けが人はなく、客室部分への延焼も免れた〔「山の上ホテル」で火災=宿泊客ら避難、けが人なし-屋上の廃材燃える・東京 2013年4月5日 時事ドットコム〕。神田警察署によると、現場検証の結果機械室から煙草の吸殻が複数見つかり、他に火の気がないため、出火原因は煙草の火の不始末と見られるという〔山の上ホテル:たばこ不始末か 別館屋上の機械室火災 2013年4月8日 毎日新聞〕。機械室は従業員の休憩所として使用されており、喫煙もしていた。ホテル側は屋上で喫煙しないよう指導していたという。 2014年6月、別館が閉鎖された〔別館閉館のお知らせ 総支配人よりご挨拶〕。以後、本館35室のみの営業となる。 2014年9月、別館が売却され、隣接する明治大学の所有となる〔【売買】山の上ホテル別館を取得、明治大学 2014年12月16日 日経不動産マーケット情報〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山の上ホテル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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