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山一証券代理人弁護士夫人殺人事件(やまいちしょうけん だいりにんべんごしふじん さつじんじけん)とは、1997年10月10日に発生した殺人事件。 被害者となった女性の配偶者の名前を採り、岡村勲弁護士夫人殺人事件と呼ぶこともある。 本事件で被害者(の家族)となった弁護士の岡村勲は、ここで初めて「被害者が法的に何の権利も認められていない」ことに気づき、奔走。2007年には、犯罪被害者の権利利益保護に関する法改正が行われることになった。 == 経緯 == 1997年10月10日18時頃、東京都小金井市にある弁護士・岡村勲の自宅の庭先で岡村の妻(当時63歳)が胸や腹など5ヶ所を刺されて死亡する事件が発生。屋内には物色された形跡がない事から、怨恨と見られた。60歳くらいの不審者が2週間程前から目撃されており、殺害直前の事件当日17時50分にもその不審者は目撃されていた。夫の岡村は当時留守中であったため、無事だった。 7日後の10月17日に無職の男性(当時63歳)が逮捕された。男性は1978年から1億円を超える資金を投資していた山一証券の元顧客であったが、株の運用で損害を被ったことを理由に山一証券に苦情を申し入れていた人物であり、事件2か月前の1997年8月に発生した山一証券顧客相談室長殺人事件で重要参考人として浮上し、警察がマークをしていた人物であった(相談室長殺人事件では逮捕・立件されず)。男性は否認してアリバイを主張していたが、アリバイ工作対象の女性が容疑者から口裏合わせを頼まれたことを供述。アリバイ工作が露見してしまった男性は殺害を認めた。男性は「動機は山一証券に株取引で損をさせられたために山一の代理である岡村弁護士に自分と同じ苦しみを味わせたかった。犯行に使われたナイフは犯行後に海中に捨てた。」と供述した。岡村が山一証券の代理人を務めていたために自宅で妻が殺害されたことが明らかになった。 被害者の夫である岡村は第一東京弁護士会会長や日本弁護士連合会副会長などの要職を歴任した。岡村はこの事件を機に犯罪被害者がいかに司法で軽視され、不公正に扱われている存在であるかを痛感し、以後は犯罪被害者の権利拡大に取り組むようになった。岡村は、妻を殺した男性への死刑を希望することを法廷で証人として証言している。全国犯罪被害者の会の結成や運営をするにつれて、犯罪被害者の権利を司法に反映されることに尽力するようになった。また岡村は、「裁判所は加害者の権利を守りこそすれ、被害者の味方ではなかった」と述べている。 裁判では検察は死刑を求刑していたが、判決では「被害者が1人であること」「被告人が防災マスクを考案し特許申請を行なっていたこと」「別れた妻子に送金を続けていること」「反省している」といった情状酌量が認められて、2001年5月29日に無期懲役判決が確定した。元警察官僚の弁護士である後藤啓二は著書『なぜ被害者より加害者を助けるのか』の中で、「被害人数では被害者遺族を納得させられない」、被告人の法廷発言で「夫人が被告人に飛びかかってきて吹っ飛ばされたので、とっさに刺した」という被害者を侮辱するような発言をしていることから、被告人が反省していると認定することは常識に反していると述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山一証券代理人弁護士夫人殺人事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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