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山上憶良[やまのうえ の おくら] 山上 憶良(やまのうえ の おくら、斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。 == 出自 == 山上憶良は、春日氏の一族にあたる皇別氏族の山上氏(山上臣)〔『新撰姓氏録』右京皇別。「和邇系図」(『姓氏家系大辞典』所収)〕の出自とされる〔佐伯470 〕〔太田6265 〕。山上の名称は大和国添上郡山辺郷の地名に由来するとされ〔、山於(やまのえ)とも記される〔。 一方で日本文学界において万葉学者の中西進が、憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶仁〔『日本書紀』天武天皇15年5月9日条では「億仁」とする。〕の子で、百済の滅亡に際して父親とともに日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していったとする説を唱えている〔中西進『山上憶良』河出書房新社, 1973年, pp.23-45〕。この説に対しては、青木和夫、佐伯有清が、歴史学の立場から批判を加えている〔小川靖彦「山上憶良」, 『日本古典文学研究史大事典』, 西沢正史・徳田武 編, 勉誠社、1997年〕。
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