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山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2008年1月31日)は、グラフィックデザイナー。広島県広島市西区出身〔2008ヒロシマ 〕。 == 経歴 == 1960年多摩美術大学図案科卒業、ライトパブリシティに入社。和田誠は大学の同窓でデザイン会社も同僚の盟友〔#新宿119-133頁〕。1963年に独立して「山下勇三事務所」を設立した。1969年、矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる〔。「新宿PLAY MAP」というタイトルとロゴ文字を作成し、創刊号に斬新なイラストレーションの表紙画を書いた〔。「新宿プレイマップ」は第3号で降板したが、「話の特集」では、井上ひさしが15年に渡って長期連載した小説「江戸紫絵巻源氏」のイラストレーションを担当した他、同誌に30年間掲載された永六輔との「せきこえのどに浅田飴」の広告を手がけた。この他、キユーピーのパッケージ・広告デザイン、無印良品のイラスト、新聞小説、児童書等の挿絵・装幀などを手がけた。 また母校・多摩美術大学の講師を勤めた他、自動車レースにも出場した〔。 著作に「オジサンも考える」や「バイクは動くか?」、共著に「せきこえのどに六輔」がある。 2008年、上部消化管出血のため逝去、享年71。 1975年にラジオ番組で方言で曲を作る企画があり、山下が作詞してシングル盤として発売された「広島の川」が2008年、山下の死後「山下勇三を囲む会」で中山千夏が歌ったところ、「この曲をもう一度広めよう」という声が上がりCDとして再発売されている〔asahi.com(朝日新聞社):「ピカドン川」の歌、33年ぶり原爆の日に再リリース 中山千夏/広島の川 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下勇三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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