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山入義知 : ウィキペディア日本語版
佐竹義知 (山入佐竹氏)[さたけ よしとも]

佐竹 義知(さたけ よしとも、生年不詳-文明10年(1478年))は、室町時代の武将。常陸国に勢力を持つ佐竹氏の一門、山入氏佐竹祐義の長男。弟に義真。甥に義藤がいる。
山入氏は常陸守護佐竹氏の一族であるが、応永年間に祖父の与義が宗家佐竹義人と対立し、以来50年近く抗争を続けていた。
== 生涯 ==
義知は父・祐義の後継として山入氏を継いだ。
佐竹氏当主の佐竹義治(義人の孫)は、自派に近しい一族の者を要所に配置し、衰退の色をみせていた佐竹氏の建て直しを図るとともに、山入氏の牽制に乗り出した。これに危機感を募らせた義知は文明10年(1478年)に軍勢を率いて久米城を攻撃、城主の佐竹義武(義治の弟とされるが異説もある)を討ち取った。しかしその直後から岩城氏の支援を受けた義治の反撃に晒され、義知は敗れて戦死した。
山入氏は弟の義真、次いでその子の義藤が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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