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山内 之豊(やまうち ゆきとよ、寛永14年(1637年) - 元禄4年4月29日(1691年5月26日))は、江戸幕府旗本。麻布山内家2代。土佐藩主山内忠義の五男。幼名梅助。源左衛門。初め安豊と名乗る。式部。兄に山内忠義、山内忠豊、山内一安。子に豊則、豊房、大森頼隆室、石河貞名室、豊清(養子、山内豊明の子)、根来正国室。 兄の一安が万治3年(1660年)25歳で早世した為、その家督を継ぎ寄合に列する。元禄4年(1691年)に没し、養子の豊清が家督を継ぐ。法名は道徹、墓所は東京都港区の曹渓寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内之豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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