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山内氏勝[やまのうち うじかつ] 山内 氏勝(やまのうち うじかつ、天文7年(1538年) - 慶長13年(1608年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。陸奥国会津郡伊北郷(現在の福島県南会津郡只見町・大沼郡金山町・三島町)を支配した国人。所領没収後は出家し、俊勝と号した。 兵部大輔舜通の嫡男。山内氏は代々会津黒川城主・蘆名氏に臣従していた。天正17年(1589年)の摺上原の戦いで蘆名氏は伊達政宗に滅ぼされる。しかし、氏勝は、居城の中丸城、その落城後は水久保城に拠り、政宗に抵抗を続けた。その間、豊臣秀吉の意を受けた石田三成や上杉景勝の助勢もあり、ついには翌年の奥州仕置までに水久保城を持ちこたえることができた。しかし、奥州仕置によって所領は没収され、その後は越後国魚沼郡に蟄居したという。政宗との交戦中、石田三成から本領を安堵するので秀吉が会津に攻め入るまで政宗との戦いを継続せよという旨の書状が氏勝へ送られたが、結局は反故にされた。 == 関連項目 ==
*蘆名氏 *只見川
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内氏勝」の詳細全文を読む
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