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山内 氏睦(やまうち うじむつ、寛政4年(1792年) - 文化8年6月19日(1811年8月7日))は、江戸時代後期の土佐藩の重臣。本姓安東氏。幼名は出見之助、治之助。通称は源蔵。 == 人物・生涯 == 寛政4年(1792年)、宿毛領主山内保氏の三男として宿毛に生まれる。母は側室の加藤氏。享和2年(1802年)、保氏の死去により家督と知行6800石を相続し、宿毛第9代領主となる。文化5年(1808年)、来航する異国船に備えて、海防のために砲台を築き大筒を設置する。文化8年(1811年)、公務で江戸に下向途中に急死する。享年20。家督は弟の氏固が相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内氏睦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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