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山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は中央競馬・栗東トレーニングセンター所属の元騎手で現在は調教師。宮崎県出身。 == 経歴 == 大阪工業大学短期大学部を卒業〔「厩舎歩き50年 小堀孝二の「今昔談義」より」p134〕後、1970年に騎手候補生となった異色の経歴を持つ。太宰義人らとともに騎手では珍しい大学卒業者であった〔ただし、現在の競馬学校の入学規定は年齢の上限が20歳以下であるため、大学卒業者のデビューは事実上不可能となっている。〕。 短期騎手講習課程の1972年度第3期生として講習を受け〔「中央競馬騎手名鑑・昭和59年版」p556〕、1974年に騎手としてデビューした。騎手免許を取得した時点ですでに24歳であり、見習騎手の期間は同年12月22日までのわずかな期間であった。 デビュー当時は関東の松山吉三郎厩舎所属だったが、1975年6月5日付で関西の田中良平厩舎に所属を変更した。 15年間の騎手生活で61勝(うち重賞1勝)。その後、1987年に調教師免許を取得したが開業が遅れ、1989年にようやく開業する。初出走は同年3月4日、阪神競馬第4競走のラガージャッカルで8着だった。初勝利は同年5月6日、新潟競馬第6競走のマサミエイトで、のべ29頭目であった。2年目の1990年に東京障害特別(秋)をシンクロトロンで制覇し重賞初制覇、さらに優秀調教師賞も受賞した。その後もコンスタントに勝利数を積み重ねていく。そしてダンツシアトルで1995年の宝塚記念を制覇し調教師としてGIを初制覇。さらに翌年イシノサンデーで皐月賞も制した。このころから、牡牝ともにクラシック路線での活躍馬を多数送り出すようになる。早い段階での活躍馬が多いのは2歳時の夏に積極的に管理馬を出走させるためである。 2000年にチアズグレイスが桜花賞に勝利する。同馬は同世代の勝ち上がり第1号でもあったため、山内の手腕が存分に発揮された馬でもある。この桜花賞は同じく管理していたシルクプリマドンナが3着、サニーサイドアップが5着に入り管理馬が掲示板5頭中3頭を占めた。続く優駿牝馬で、今度はシルクプリマドンナが勝利し、さらに2着に桜花賞優勝馬のチアズグレイスが入り、1、2着を管理馬で占めた。 2002年にはダンツフレームで宝塚記念を制覇。6月15日から8月11日まで当時JRAの新記録となる9週連続勝利を達成する。 2006年にはコンゴウリキシオーで金鯱賞を制し、史上2人目となるJRA全10競馬場重賞勝利を達成。 その後もクラシック路線を中心に多数の活躍馬を送り出している。手腕は前述のとおりで、2006年までに10回優秀調教師賞を受賞している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内研二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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